「株式売却益の流用は横領ではない」ライブドア事件証人・宮内 亮治被告への弁護側反対尋問
JMAM サルベージ 1 号投資事業組合
- M & A チャレンジャー 1 号投資事業組合がキャピタリスタ(現・ライブドアファイナンス)から受けた 21 億円の出資を基に、資金追加して平成 16 (2004) 年 5 月 28 日に組成した
- (「4 月 3 日に公募増資を行い、22 日頃に約 350 億円が入ったのだから、出会い系サイト運営会社キューズ・ネットと消費者金融会社ロイヤル信販(現・ライブドアクレジット)を買収することはできたのではないか?」との弁護側に対し)借入金を返済したり運転資金に回したりで、残らなかったのだろう
- イーバンク銀行への追加出資の話も同時期に消えて 10 億円くらい浮いていたが、現金で買収すると資金がなくなる
- シークエッジの白井 一成氏に借りた 45 億円のうち、24 億 3500 万円を 8 月 30 日にチャレンジャーに戻したときの会計処理は知らない
- 出資から仮払に切替えられていたのは知らない
- 中村 長也被告(ライブドアファイナンス前社長)の判断か不明
- (「JMAM サルベージ 1 号投資事業組合の口座はライブドアから見えなくなり、個人という意味でなくても自分たちの裁量で自由に使うつもりだったのではないか?」との弁護側に対し)全くなかった
送金手続き
- 徐 躍平氏(ライブドアチャイナ社長)への 7000 万円や UBS 証券の担当者 3 名への 3000 万円ずつの送金は、ライブドア所定の手続きを踏んでいない
- 証人は、ライブドアファイナンスの代表だったから
- 役員会にはかけていないが、他の人もいるので証人の裁量ではない
人材派遣会社トライン株の売却益
- 人材派遣会社トライン株の売却益の 1 億 5000 万円について、証人・中村被告・野口 英昭氏(エイチ・エス証券副社長/強制捜査後に沖縄で死亡)は知っていたが、大西 洋氏(バリュー・リンク社長)は知らなかっただろう
- フェラーリ購入を知っているのは、証人と中村被告
- 取調べでも、PTI について午前中の尋問の内容を説明した
- 2 回目の起訴事実の取調べの途中から聞かれた
- 検察官に「横領じゃない?」と言われ、「違う」と答えた
- (「検察官に協力しないと、横領が問題になると思わなかったか?」との弁護側に対し)横領じゃないから思わなかった
- 平成 17 (2005) 年末に、返還を野口氏と相談していた
- 検察官に横領と言われて、嫌だと思った
イーバンク銀行
- 案件があったのは平成 15 (2003) 年 7 月か 8 月から
- 証人は積極的だった
- 銀行という器で調達した資金を再投資できる可能性があるから
- 堀江 貴文被告(ライブドア前社長)も、最終的には賛成した
- イーバンク銀行を機に、堀江被告から離れる気はなかった
- マンション分譲会社ダイナシティのときは迷った
- ライブドアが好きで残りたかった
- イーバンク銀行の代表取締役になる予定だった
- 持株比率として、証人は 40 % を考えていたが、イーバンク銀行側は 25 〜 30 % を考えていた
- 松尾 泰一氏(イーバンク銀行代表取締役社長)との覚書で 40 % にしたが、うまく行かなかった
- (「7 月 31 日の堀江被告から証人へのメールに、『イーバンク銀行は危ないんじゃないの?』とあるが、堀江被告は消極的だったのか?」との弁護側に対し)イーバンク銀行については消極的だった
- (「8 月 19 日の証人から堀江被告らへのメールで、イーバンク銀行を連結したときの赤字について、堀江被告と意見が分かれたのではないか?」との弁護側に対し)意見が分かれたのではなくて、まだ固まっていない状態だった
- 10 月 10 日の取締役会で、イーバンク銀行への 37 億 5000 万円の出資が承認された
- (「議事録では全員賛成だが、堀江被告は最後まで反対して 1 : 3 だったのではないか?」との弁護側に対し)全員賛成だったと思う
- (「堀江被告は、『自分は反対だが、やりたければやれば』と言ったのではないか?」との弁護側に対し)そんなことはない
- スキームが危ないのは、中村被告も「甘さがある」と言っていた
- (「中村被告の懸念にも関わらず、証人は積極的だったのか?」との弁護側に対し)結果は失敗だったが、そうならないように努力した
- 10 月 21 日と 12 月 9 日の山崎 徳之氏(ライブドア元取締役)のメールで、証人が「頭取」と呼ばれているのは、ジョークだと思う
- イーバンク銀行は頭取ではなく筆頭取締役であり、山崎氏が茶化して「頭取」としたのだろう
- イーバンク銀行に出向していたときの証人の肩書は「営業本部長」
- (「9 月 28 日の証人のメールに、『イーバンク銀行に異動して 1 ヵ月でリストラする』とある」との弁護側に対し)イーバンク銀行を制圧する意気込みでやらなければ、と思っていた
- 当時のイーバンク銀行は、業績が悪かった
- 赤字額は覚えていないが、赤字続きで銀行免許が危ないという気持ちもあったかもしれない
- (「イーバンク銀行に実際に行ったのは 10 月 20 日か?」との弁護側に対し)10 月だが、日付は覚えていない
- イーバンク銀行では最初に、キャピタリスタの子会社化の話をイーバンク銀行の副社長とした
- 中村被告と丸山 サトシ(表記不明)氏(ライブドア元社員)は、コスト削減を訴えていた
- イーバンク銀行の会議には、役職によって出ていた
- (「10 月 21 日の中村被告から山下氏へのメールに、『会議にはできるだけ出ましょう』とある」との弁護側に対し)実際は、さほど出ていない
- イーバンク銀行の株式公開は、松尾氏は考えていたかもしれないが、ライブドア側は考えていなかった
- 証人からライブドア顧問弁護士へのメールに、『イーバンク銀行の株式公開は平成 16 年マスト』とあるのは、契約で「株式公開に協力する」となっていたからで、自分では考えていなかった
- (「株式公開と子会社化は矛盾しないか?」との弁護側に対し)仰る通り
- (「上場したらエッジ(現・ライブドア)から離れるのではないか?」との弁護側に対し)上場したらそうだが、あり得ない
- 「イーバンク銀行の代表取締役」という肩書に、魅力は全く感じなかった
- イーバンク銀行と仲が悪くなった一番の理由は、星崎 治男氏(イーバンク銀行代表取締役副社長)と堀江被告・証人が揉めたこと
- 若山 健彦氏(イーバンク銀行代表取締役副社長)に、「ライブドア社員の進駐軍面はどうにかならないか」とも言われた
- 11 月頃に、「イーバンク銀行が福岡の銀行に不正融資している」と他社から聞いた
- イーバンク銀行を締出されたのは 12 月 12 日か詳しく思い出せない
- 「ライブドアに戻ってくれ」と言われたのは、締出される 1 週間くらい前
- 朝行ったら入れなかったのではなく、夜戻ったら入れなかった
- 他の株主から、イーバンク銀行の株を買い集めようとした
- 野口氏にも頼んだ
- 野口氏と近い馬場氏が持っている株を買ってくれるよう頼んだが、結局買えなかった
- 野口氏から連絡を受けたと思うが、覚えていない
- 9 月 24 日の証人から野口氏へのメールでイーバンク銀行に触れているが、野口氏がイーバンク銀行について知った正確な時期はわからない
- イーバンク銀行の子会社化を断念したのは、年明けの誹謗中傷合戦の後
- イーバンク銀行の株の売却を決めたのは、夏前だと思う
- 140 億円投資して失敗したことについて、再挑戦するなり売却するなり、自分で片付けないといけない、と思っていた
- (「頓挫により、ライブドアの売上計画に影響があったのではないか?」との弁護側に対し)当初は見込んでおらず、10 月か 11 月に見込んだ
- イーバンク銀行の株の売却先として、ソフトバンクインベストメント SBI と 6 月か 7 月頃に交渉した
- 10 億円くらいの利益が出るように、37 億円で買った株を 50 億円(1 株 10 万円)で売却しようとした
- 北尾 吉孝氏(SBI 社長)の部下と塩野 誠氏(ライブドア証券取締役副社長)が交渉した
- イーバンク銀行に「SBI は駄目」と言われ、中止した
- 最終的に、1 株 9 万 5000 円で 8 月か 9 月に売却した
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